東京地方裁判所 昭和62年(行ウ)51号 判決 1993年12月08日
原告
二ノ宮幸正
同
東鉄夫
同
金子隆久
同
蓬田俊男
原告ら訴訟代理人
金井克仁
同
小部正治
同
牛久保秀樹
被告
国
右代表者法務大臣
三ケ月章
右訴訟代理人弁護士
竹田穰
右指定代理人
飯塚洋
外七名
主文
一 被告は、原告二ノ宮幸正に対し、金二四一八円及びうち金一二〇九円に対する昭和六二年五月二四日から、うち金一二〇九円に対する本判決確定の日の翌日からそれぞれ完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告は、原告東鉄夫に対し、金二四九〇円及びうち金一二四五円に対する昭和六二年五月二四日から、うち金一二四五円に対する本判決確定の日の翌日からそれぞれ完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
三 被告は、原告金子隆久に対し、金一七〇八円及びうち金八五四円に対する昭和六二年五月二四日から、うち金八五四円に対する本判決確定の日の翌日からそれぞれ完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
四 被告は、原告蓬田俊男に対し、金一八三四円及びうち金九一七円に対する昭和六二年五月二四日から、うち金九一七円に対する本判決確定の日の翌日からそれぞれ完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
五 原告らのその余の請求を棄却する。
六 訴訟費用は五分し、その一を原告らの、その余を被告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
一被告は、原告二ノ宮幸正に対して金一万二四一八円、原告東鉄夫に対して金一万二四九〇円、原告金子隆久に対して金一万一七〇八円、原告蓬田俊男に対して金一万一八三四円及びこれらに対する昭和六二年五月二四日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二訴訟費用は被告の負担とする。
三仮執行宣言
第二事案の概要
本件は、東京国際郵便局(以下「東京国際局」という。)の職員である原告らが、年次有給休暇(以下「年休」という。)として、昭和六一年一〇月三〇日午後二時三〇分から同三時三〇分を時季指定したのに対して、東京国際局長及び原告らの所属課長が時季変更権を行使して原告らに勤務を命じたが、原告蓬田俊男(以下「原告蓬田」という。)は午後二時三二分から同三時二六分までの五四分間、原告金子隆久(以下「原告金子」という。)は午後二時三六分から同三時一七分までの四一分間、原告二ノ宮幸正(以下「原告二ノ宮」という。)は午後二時三〇分から同三時三〇分までの一時間、原告東鉄夫(以下「原告東」という。)は午後二時三〇分から同三時二六分までの五六分間、それぞれ勤務を欠いたため、同局長が、原告らに対して右勤務時間帯に係る賃金をカットするとともに、原告らの右行為が国家公務員法九八条一項及び同法一〇一条一項に違反するとして郵政部内職員訓告規程により原告らを訓告に付した事案で、原告らが被告に対し、右時季変更権の行使が違法であることを理由にカットされた賃金及び同額の付加金の支払と、訓告が違法であることを理由に慰謝料の支払とを求めたものである。
一基礎となる事実関係
以下の事実は、当事者間に争いがないか、各掲記の証拠によって認められる。
1 東京国際局の業務
(一) 業務内容
東京国際局は、主として外国郵便物の交換事務を専門的に取り扱う郵便局である。国内から外国に向けて差し出される郵便物(外国あて郵便物)を外国に直接送付し、あるいは外国から送達されてくる郵便物(外国来郵便物)を外国から直接受け取る交換事務は特定の郵便局(交換局)で集中して処理することとされており、このような交換局は東京国際局のほか日本国内で九局が指定されている。東京国際局は、勤務する職員の約九割が外国郵便物の交換事務に携わり、その取扱量も日本国内で取り扱われる外国郵便物の約七割近くにものぼり、国内最大規模の外国郵便取扱専門局となっている。
さらに、東京国際局は、国内における外国郵便のキーステーションとしての重要な役割を果たしている一方、昭和六一年三月一日から郵便営業センターを設置し、外国郵便市場の開拓、需要拡大、利用者サービスの向上等も図っている。なお、東京国際局は、大蔵省から税関職員が派遣されており、外国郵便物の税関検査、許可の事務(通関)が行なわれる郵便局にも指定されている。
(二) 外国郵便物の処理手続
(1) 外国郵便物の分類
(a) 船便郵便物
船舶を利用して輸送される郵便物をいい、通常郵便物(書状、郵便はがき、印刷物、小型包装物、点字郵便物)及び小包郵便物(信書以外のものを内容とする郵便物)がある。
(b) 航空便郵便物
航空機を利用して輸送される郵便物をいい、通常郵便物及び小包郵便物がある。
(c) SAL小包郵便物
船便小包郵便物の一種であるが、輸送方法が一般の船便小包郵便物とは異なり、名あて国までは航空機により運送され、国内及び名あて国内においては一般の船便小包郵便物と同様に取り扱われる。
(d) APOメール
東京国際局及び那覇中央郵便局と在日米国の軍事郵便局との間に交換される郵便物をいい、通常郵便物及び小包郵便物がある。
(2) 外国郵便物の処理手続の概要
(外国あて郵便物)
(a) 受入れ
国内の各郵便局で引き受けられた外国あて郵便物は、自動車便により東京国際局に搬入される。
(b) 差立区分
搬入された外国あて郵便物は、東京国際局において集荷しあるいは同局の窓口で引き受けた外国あて郵便物とともに、発送のため通常郵便物、小包郵便物の種類ごとにそれぞれ外国の交換局別に区分けされる。
(c) 輸出検査
差立区分された郵便物のうち、通関を要する郵便物は、東京国際局に派遣されている東京関税職員に呈示され、輸出検査が行なわれる。
(d) 郵袋作成
差立区分された郵便物は、郵便物を納入するための袋(以下「郵袋」という。)に納められ、その郵袋は名あて交換局の名札をつけられて封かんされる。
(e) 差立
作成された郵袋は、郵袋引渡書類を作成の上、船舶や航空機の出発時刻に接続する自動車便の出発時刻に従って発送される。
(外国来郵便物)
(a) 受入れ
航空機、船舶により送付されてきた外国来郵便物を納入した郵袋は、自動車便により東京国際局に到着、搬入される。搬入された郵袋は、添付された郵袋引渡書類と対照して、名あて、数量、郵袋の損傷の有無、封かんの異常の有無等を点検の上、開披されて郵便物が取り出される。
(b) 輸入検査及び保留
受け入れた郵便物のうち通関を要する郵便物は、東京国際局に派遣されている東京税関職員に呈示され、輸入検査が行なわれる。なお、輸入検査に際し、関係書類の不備のため検査を進行できない郵便物は、一定期間保留される。
(c) 到着区分
輸入検査が終了するなどした郵便物は、通常郵便物、小包郵便物の種類ごとにそれぞれあて名の受持配達局等に区分けされる。
(d) 郵袋作成
到着区分された郵便物は、あて名の受持配達局等の名札をつけた郵袋に納められる。
(e)差立
作成された郵袋は、それぞれ受持配達局等へ送付するための自動車便の出発時刻に従って発送される。
2 東京国際局の組織と所掌事務
(一) 組織
東京国際局は、局長、次長のもとに、庶務会計課(以下「庶会課」という。)、調整課、運行課、第一外国郵便課(昭和六二年七月の組織改正により第一国際郵便課に課名が変更された。以下「第一外国課」という。)、第二外国郵便課(昭和六二年七月の組織改正により第二国際郵便課に課名が変更された。以下「第二外国課」という。)、第三外国郵便課(昭和六二年七月の組織改正により第三国際郵便課に課名が変更された。以下「第三外国課」という。)、第四外国郵便課(昭和六二年七月の組織改正により第四国際郵便課に課名が変更された。以下「第四外国課」という。)がある。
(二) 所掌
(1) 庶会課
庶務・会計関係事務
(2) 調整課
郵便業務の計画及び航空運送料関係事務、営業センター
(3) 運行課
郵便・貯金窓口関係事務、郵袋の発着と私書箱事務及び空郵袋の主管事務
(4) 第一外国課
主に船便通常郵便物の差立、到着事務を所掌しており、これらの事務を業務内容に応じて大別すると、計画、差立、到着及び特殊の四つの担務に分かれている。なお、これら四つの担務は、それぞれ業務の内容が異なっているため、一定の要員配置の下にほぼ独立した課に近い組織形態をとって業務運行が図られていた。
(5) 第二外国課
主に船便小包郵便物及びSAL小包郵便物の差立、到着事務を所掌しており、これらの事務を業務内容に応じて大別すれば、計画、差立及び到着の三つの担務に分かれている。なお、これら三つの担務は、それぞれ業務の内容が異なっているため、一定の要員配置の下にほぼ独立した課に近い組織形態をとって業務運行が図られていた。
(6) 第三外国課
航空通常郵便物の差立、到着事務
(7) 第四外国課
主に航空小包郵便物の差立、到着事務を所掌しており、これらの事務を業務内容に応じて大別すれば、計画、差立及び到着の三つの担務に分かれている。
3 原告らの地位及び業務内容
(一) 原告らは、昭和六一年一〇月当時及び現在も東京国際局の職員であり、郵政産業労働組合東京国際支部(以下「郵産労支部」という。)の組合員である。
(二) 原告蓬田
原告蓬田は、昭和六一年一〇月当時、第一外国課到着担務に所属し、外国来郵便物の受入れ、区分及び国内各配達局への発送事務に従事していた。
(三) 原告金子
原告金子は、昭和六一年一〇月当時、第一外国課差立担務に所属し、国内から外国あてに差し出された郵便物の外国交換局への発送事務に従事していた。
(四) 原告二ノ宮
原告二ノ宮は、昭和六一年一〇月当時、第二外国課到着担務に所属し、外国来小包郵便物の受入れ、区分及び国内各配達局等への発送事務に従事していた。
(五) 原告東
原告東は、昭和六一年一〇月当時、第四外国課到着担務に所属し、外国来小包郵便物の受入れ、区分及び国内各配達局への発送事務に従事していた。
4 東京国際局における年休の取扱い
(一) 年休の取扱いに関する規程等
郵政事業に勤務する職員のうち、国の経営する企業に勤務する職員の給与等に関する特例法の適用を受ける職員の年休の取扱いについては、昭和三二年一二月二七日、郵政省と関係労働組合との間に締結された「年次有給休暇に関する協約」及び前記特例法六条の規程に基づき昭和三三年五月二四日制定された「郵政事業職員勤務時間、休憩、休日および休暇規程」(以下「規程」という。)の定めるところにより運用されている。
(二) 年休の発給日数及び種別等
年休の休暇年度は、当年四月一日から翌年三月三一日までとされ(規程五七条)、当該年度における年休の発給日数は、四月一日現在の在職者については二〇日とされている(規程五八条一項一号)。これらの年休は、労基法三九条所定の休暇に該当する「法内休暇」と年次有給休暇に関する協約により設けられた「協定休暇」の二種類に区分され、法内休暇の日数は、その年の四月一日現在の在職者については二〇日の発給日数のうち、当該職員がその年度中に満年に達する勤続年数の数に相当する日数(ただし、一五日を超えない。)に五日を加えた日数とされ、また、協定休暇の日数は、二〇日の発給日数から右法内休暇の日数を差し引いて得た日数とされている(規程六一条)。
(三) 年休の付与方法
年休はその付与方法により、計画付与による方法と自由付与による方法の二つに区分されている(規程六三条二項一号及び二号)が、自由付与に係る年休の対象日数は、当該年度において有効とされている年休のうち、計画付与に係る年休以外の日数とされており(規程六七条)、その請求手続について、職員は、「所属長に対し、請求書を、原則として、その希望する日の前日の正午までに提出しなければならない。」とされ(規程六九条一項)、その付与方法については、「職員の請求する時季に、これを与えなければならない。ただし、所属長において、請求された時季に休暇を与えることが業務の正常な運営を妨げると認めた場合においては、第六二条の規程による期間内の他の時季に、これを与えることができる。」旨定められている(規程六八条)。
(四) 年休の付与単位
労基法三九条は、年休の付与単位については一日単位としていることから、法内休暇及び計画付与に係る年休はすべて一日単位で付与することとされているが、自由付与により与えられる協定休暇については、一時間を単位として付与することができることとされている(規程七一条)。
(五) 東京国際局における時季変更権行使の権限(<書証番号略>)
郵便局は、地方郵政局の事務のうち現業事務を行なう地方支分部局の機関として設置されているものであるが、同機関の長である郵便局長は、郵政大臣が郵政省設置法により定めた郵政省職務規程七条九項により年休の付与について権限があると定められ、そして、右職務規程六条により、軽微なものは更にこれを部下の職員に分在することができるとされている。したがって、東京国際局における年休付与についての権限は同局長にあるところ、同局長が右職務規程六条に基づき定めた東京国際郵便局職務分任規程九条二項には、同局の各課長は年休付与に関する権限を行使する旨定められており、また、右分任規程三条には、課長は分任規程に定める事項であっても、異例又は疑義のあるもの及び重要と認められるものについては局長の決裁を受けなければならないと定められている。
5 原告らの年休の時季指定及びこれに対する被告の時季変更権の行使
(一) 原告蓬田
(1) 原告蓬田は、昭和六一年一〇月二八日午後一時頃、上司である第一外国課課長代理田中憲治に対し、同月三〇日午後二時三〇分から同三時三〇分までの一時間について、年休請求書を提出した。
(2) 第一外国課課長飯塚敏明(以下「飯塚課長」という。)は、同月二九日午後三時三二分頃、原告蓬田に対し、業務に支障があるので時季変更する旨通知したが、原告蓬田は、同月三〇日午後二時三二分から同三時二六分までの五四分間職場を離れ、勤務を欠いた。被告は、原告蓬田に対し、同月分の賃金から右欠務分として九一七円を控除した。
(二) 原告金子
(1) 原告金子は、昭和六一年一〇月二九日午前一〇時頃、上司である第一外国課主事山内武に対し、同月三〇日午後二時三〇分から同三時三〇分までの一時間について、年休請求書を提出した。
(2) 飯塚課長は、同月二九日午後三時四七分頃、原告金子に対し、業務に支障があるので時季変更する旨通知したが、原告金子は、同月三〇日午後二時三六分から同三時一七分までの四一分間職場を離れ、勤務を欠いた。被告は、原告金子に対し、同月分の賃金から右欠務分として八五四円を控除した。
(三) 原告二ノ宮
(1) 原告二ノ宮は、昭和六一年一〇月二八日午後一時頃、上司である第二外国課主事朝野勇に対し、同月三〇日午後二時三〇分から同三時三〇分までの一時間について、年休請求書を提出した。
(2) 第二外国課課長市川和義(以下「市川課長」という。)は、同月二九日午後四時五〇分頃、原告二ノ宮に対し、業務に支障があるので時季変更する旨通知したが、原告二ノ宮は、同月三〇日午後二時三〇分から同三時三〇分までの一時間職場を離れ、勤務を欠いた。被告は、原告二ノ宮に対し、同月分の賃金から右欠務分として一二〇九円を控除した。
(四) 原告東
(1) 原告東は、昭和六一年一〇月二八日午後一時頃、第四外国課主事根本三男に対し、同月三〇日全一日を時季指定した年休請求書を提出したが、同月二九日午後三時二〇分頃同課課長森元章恭(以下「森元課長」という。)から時季変更権を行使された。そこで原告東は、同月二九日午後六時一〇分頃、上司である第四外国課課長代理豊島丈雄に対し、同月三〇日午後二時三〇分から同三時三〇分までの一時間について、年休請求書を提出した。
(2) 森元課長は、同月三〇日午前八時三〇分頃、原告東に対し、業務に支障があるので時季変更する旨通知したが、原告東は、同日午後二時三〇分から同三時二六分までの五六分間職場を離れ、勤務を欠いた。被告は、原告東に対し、同月分の賃金から右欠務分として一二四五円を控除した。
6 本件年休時季指定時間帯における原告らの庶会課への要請行動
昭和六一年一〇月二五日、郵産労支部の黒沢書記長から当局に対し、同月三〇日に全都大行動実行委員会・国民春闘再構築東京懇談会(以下「東京春闘懇」という。)が統一行動を行なうこととしており、右行動の一環として当日、約二〇名が局長面会を求めて来局したい旨の申し出がされるとともに、右東京春闘懇名による東京国際局長あての要請書が提出された。この要請書には、要求の実現をめざして一〇・三〇全都大行動の一環として貴職に対し要望を行なうとした上、東京国際局における国際ビジネス郵便担当者の増員、深夜勤の廃止、組合事務室の設置など六項目の要請のほか、一〇月三〇日午後二時四五分から同三時一五分までの間面会に応じるよう記載されていた。そして、原告らは、右同日午後の本件年休時季指定時間帯に、庶会課への要請行動をした。
7 訓告処分
東京国際局長は、昭和六二年一月二〇日、原告らに対し、原告らの5、6の行為が国家公務員法九八条一項及び同法一〇一条一項に違反するとして、それぞれ郵政部内職員訓告規程により訓告に付した。
二争点
1 時季変更権行使の適法性
(一) 原告ら所属各課における業務支障の恐れの有無
(二) 庶会課の業務支障の恐れを理由とする時季変更権の行使の効力
2 原告らに対する訓告処分の適法性及び損害の有無
三被告の主張<省略>
四原告らの主張<省略>
第三争点に対する判断
一原告ら所属各課における本件時季変更権行使の効力
1 原告ら所属各課における業務支障について
(一) 原告蓬田関係(<書証番号略>、証人飯塚敏明、原告蓬田、弁論の全趣旨)
(1) 第一外国課の到着担務の配置
本件当時、到着担務には、課長代理を総括リーダーとして五〇名が配置され、事務処理を効率的に行なうため、これを一〇チームに編成の上、各チーム単位に業務を分担して作業を行なっていた。なお、到着担務内における分担及び主な作業内容は次のとおりである。
事故 破損郵便物の修補、誤送等郵便物の返送処理、再調査
受入れ 特別郵袋印刷物の処理、空郵袋の整理、残留点検、私書箱への交付、要通関郵袋の交付
床A 郵便物の床区分、国内配達局あて郵袋納入
床B 受入郵袋の開披、大型郵便物の処理、税関呈示郵便物の特殊係への交付
床C 郵便物の床区分、国内配達局あて郵袋納入
床D 床B作業に準ずる、破損郵便物の修補、私書箱郵便物の交付
差立 国内各局あてに作成された郵袋の差立、郵便物の床区分、内国用郵袋の補充
函 区分函による郵便物の区分、国内配達局あて郵袋納入
LC 書状、郵便はがき、そのほか薄い郵便物等の小型郵便物の区分及び郵袋納入
床E 事故を除く右分担のいずれかに配置される(休暇の後補充等)
(2) 到着担務の勤務形態
(a) 各分担を担当するチームは、主任をリーダーとして、三名ないし五名の一般職員で構成され、メンバーは固定していた。また、事故担当以外のチームは、各分担を一週間毎に交替するといういわゆる循環服務の方法により作業に従事していた。
(b) 各分担間の応援関係についてみると、事故を担当するチームは専ら事故本来の作業に従事していたが、そのほかの受入れ、床A、床B、床C、床D、差立、函、LCの各分担は、業務の繁閑、その日の要員配置状況により必要に応じ分担を越えて応援する措置も行なわれていた。
(3) 到着担務の業務量
(a) 昭和六一年一〇月二三日から一一月六日までの一二日間の受入郵便数、処理郵便数、未処理郵便物数は、次のとおりであった。
(日時) (受入郵便数)
(処理郵便数) (未処理郵便物数)
一〇月二三日 二万七七五九通
六万三七五九通 ゼロ
二四日 一万一七三四通
一万一七三四通 ゼロ
二五日 ―
― 四万五二〇〇通
二六日 ―
― 七万五一三〇通
二七日 ―
― 三万〇七〇〇通
二八日 七万五二七九通
五万八六七九通 四万七三〇〇通
二九日 四万四〇〇〇通
四万五〇五〇通 四万六二五〇通
三〇日 四万八九二〇通
四万四八二〇通 五万〇三五〇通
三一日 五万三九〇〇通
五万一三五〇通 五万二九〇〇通
その後の未処理郵便物数は、一一月一日は四万二二五〇通、二日は六万九〇〇〇通、三日は九万三八〇〇通、四日は四万〇六〇〇通、五日はゼロ、六日は八六〇〇通であった。
(b) 原告蓬田の所属する到着担務の取扱業務量は、年間平均にすると一日四万八〇〇〇通であったところ、ニューヨークからの受入郵便物が主力(全体の四〇%)を占めるが、これらのニューヨーク便は、毎週定期的に木曜日又は金曜日頃に横浜港郵便局に到着するため、次のニューヨーク便の到着する前の木曜日又は金曜日までにはなるべくすべてを処理できるように、到着日以降順次四日間又は五日間にわたって東京国際局に送付され、受入処理がされてきた。受け入れた郵便物は未処理を生ずることが多かったが、雪だるまのように未処理郵便物が増えないように配意することを要した。
(4) 原告蓬田の本件当日の業務分担
原告蓬田は、第一外国課主任栗田恒文をリーダーとした五名で編成するチームに属し、本件当日同チームは床C担当に指定されており(午前九時から午後五時一八分までの勤務)、原告蓬田もその一員として同主任ら三名と共に同作業に従事することとされていた。
(5) 本件当日の到着担務の要員事情
(a) 本件当日の到着担務の要員事情についてみると、既に勤務指定において明示されていた非番日五名、出張一名、訓練三名、年休一名に該当するものを除くと、実際に到着担務の各分担(事故担当六名を除く。)に配置できる人員は合計三四名であった。さらに、当日は、一一月五日に発売される年賀はがきの販売準備のために午前及び午後各一名を、また、午後においては国際局全体の行事としての主任を対象としたセールス技法講習会が午後一時三〇分から同三時頃まで開催されることとなっており、同講習会へ主任二名を、それぞれ右配置人員三四名の中から差し操って出席させなければならないこととなっていた。なお、到着担務においては、非常勤職員一、二名を連日雇用し、職員の補助的業務を担当させる等して日常の取扱業務の波動性に対処していた。
(b) 昭和六一年一〇月二三日から一一月六日までの日曜・祝日を除いた一二日間の実働人員は、一〇月二三日三七名、二四日三四名、二五日三二名、二七日三五名、二八日三四名、二九日三五名、三〇日三三名、三一日三五名、一一月一日三〇名、四日三〇名、五日三四名、六日三六名であった。一〇月三〇日の要員は三四名であったが、一名が病気で突発欠務したため、三三名の実働となった。また、同日午後にセールス技法講習会に主任を出席させることとしていたが、各主任の所属する担務は、それぞれ床A、受入れで四名一チームでするものであったところ、当日は主任を除いていずれも四名出勤する予定となっていた。
(6) 本件当日の業務支障の予測
(a) 一〇月二八日、原告蓬田から年休請求がされた旨報告を受けた飯塚課長は、同日、原告蓬田が所属する到着担務の業務運行状況を検討したが、原告蓬田の年休取得日が木曜日にあたるため、前記のとおり全体の業務運行を的確に行なう上から、当日についてはそれまでのニューヨーク便で到着していた未処理郵便物は極力減少させる必要性があると考えた。そして、同日は、前日からの繰越の未処理郵便物が三万〇七〇〇通、到着郵便物数が七万五二七九通、処理郵便物数が五万八六七九通で、夕刻には約四万七〇〇〇通の翌日繰越予定の未処理郵便物が生じているとして、原告蓬田に対する本件年休の付与の可否については、翌二九日の業務運行の状況をみて最終的に判断することとした。
(b) 外国来船便郵便物については定期的に郵便物を運搬する船は少なく、多くは不定期便の貨物船に頼らざるを得ないため、どの船が日本にどのような郵便物を運んでいて、いつ到着するかは数日前にしか判明しない。そこで、東京国際局に到着する予定の郵便物数は、調整課が毎日、「横浜港来到着状況」、「本日の方面別船便到着状況」「今後の方面別船便到着予定」について郵便物の種類・郵袋数を記載して作成する到着予定表に基づいてその予測をしていた。
(c) 調整課から配布された二八日朝の到着予定表によると、翌二九日の到着予定は欧州コンテナ二本(パリ便一六七袋、ロンドン便一袋、合計約六五二〇通)、神戸コンテナ一本(上海便五〇袋、約二〇〇〇通)等があるにすぎなかった。ところが、二九日朝、飯塚課長が到着予定表を見たところ、二九日当日に臨時のニューヨーク便一二三四袋(約五万通程度)が到着することが判明した。しかし、同物数は東京国際局の収容能力に合わせて二九日から三〇日の二日間に分けて到着することとなり、二九日の到着見込みは四回に分けて合計約二万五〇〇〇通であり、さらに同日は、その他の欧州コンテナ二本(パリ便一六七袋、ロンドン便一袋、合計約七〇〇〇通)、神戸コンテナ一本(上海便一二七袋、約五〇〇〇通)等の到着予定が明確となり、その他の到着便を合わせて約五万通程度の郵便物が東京国際局に到着することが予測された。その結果、前日からの繰越分と合わせて二九日の要処理物数が約一〇万通程度になることが明らかとなった。本件当時において一日における処理可能な郵便物数は約六万通程度であったから、二九日当日は少なくとも約四万通程度の未処理郵便物が発生することが予想された。また、翌三〇日の業務運行を検討すると、二九日の到着予定表からは、臨時のニューヨーク便の残約六〇〇袋(約二万五〇〇〇通)の他に、欧州コンテナ(ロンドン便一七九袋、約七二〇〇通)、神戸コンテナ(ブサン便二一袋、ナホトカ便一七三袋、合計約七〇〇〇通)の到着が予定され、約四万通程度の郵便物が到着することが予想された。したがって、二九日朝の時点で、翌三〇日の要処理物数は、二九日分の未処理郵便物約四万通と当日到着分約四万通とを合わせた約八万通と予想された。
(d) 一〇月二九日は、前日からの繰越の未処理郵便物が四万七三〇〇通、到着郵便物数が四万四〇〇〇通、処理郵便物数が四万五〇五〇通であって、夕刻には翌日繰越予定の未処理郵便物として約四万六〇〇〇通の発生が予測された。飯塚課長は、原告蓬田の時季指定した年休は、繁忙を極める木曜日にあたる上、その中でも午後二時三〇分から同三時三〇分の時間帯は、原告蓬田の分担においては国内各局あて区分した郵便物を郵袋に納入し、運行課に交付しなければならない最も忙しい時間帯に当たると考え、原告蓬田の本件年休請求がたとえ一時間であっても、これを認めることは業務の正常な運営に支障があるものと判断し、原告蓬田の右年休に対する時季変更権を行使することとした。
(e) ところで、原告蓬田の分担する床Cの本件当日の仕事とは、午前九時一〇分から前日残りのニューヨーク便の区分をし、同一一時頃から郵袋の納入・交付を午後一時一〇分の連絡六号便及び同二時一〇分の東陽一号便に間に合わせて行なうものであり、午後は区分を二時三〇分位までで切り上げ、午後二時三〇分から同三時三〇分の時間帯は三時四〇分、四時、四時五五分の交付時刻に合わせて床C、床A及び差立の担務が総出で郵袋の納入・交付をする段取りであった。
(f) このような状況のもとで、飯塚課長は、三〇日の要員配置に対し、既に病気の突発欠務一名を出しているが、予め当日一日を年休として時季指定していて事務分担表から除外されていた石鍋主任に対して時季変更権を行使することをせず、また、到着担務の星河が当日午前中に友人の引越しの手伝いのために午後四時一八分から一時間の休暇を請求したいわゆる突発年休に対しては正当な事由があるとしてこれを認めた。
(7) 原告蓬田の年休時季指定による業務支障の蓋然性
以上(1)ないし(6)の事実によれば、第一外国課到着担務においては、一〇月二九日午後の時点で、翌三〇日に臨時のニューヨーク便が到着するなどの予定があり、未処理郵便物数を大幅に減らすことが困難な状況が予測されたが、到着担務の一日の処理能力からすれば、同日は、平均的な未処理郵便物数が繰り越されることが予測されるにすぎず、代替勤務者を確保したり、あるいは時間外勤務を命じたりしなければならない事態が予想されたわけではなく、原告蓬田のした同日午後二時三〇分から同三時三〇分までの一時間の年休時季指定により当日午後の定時に発着係に交付するための郵袋の納入・作成に支障が生じる恐れがあったとはいえない状況であったものというべきである。それ故、飯塚課長は、現実にも、石鍋主任の一日年休、星河の突発的な一時間年休に対し、いずれも時季変更権を行使する必要を認めなかったものということができる。
したがって、原告蓬田の本件年休時季指定により第一外国課の業務の正常な運営に支障があるとはいえなかったものであり、飯塚課長のした時季変更権の行使は、その要件を欠き、無効というべきである。
(二) 原告金子関係(<書証番号略>、証人飯塚敏明、原告金子、弁論の全趣旨)
(1) 第一外国課の差立担務の配置
本件当時、差立担務には、主事二名を総括リーダーとして二四名が配置され、これを五チームに編成の上、各チーム単位に業務を分担して作業を行なっていた。なお、差立担務内における分担及び主な作業内容は次のとおりである。
事故 不着等事故郵便物の処理、点検状作成事務、料金未納不足郵便物の処理、破損郵便物の修補
区分 受入郵袋の開披、大型郵便物の差立区分、外国交換局あて郵袋納入
受入郵袋の開披、中型・小型郵便物及びクリスマスメールの差立区分
誤送・誤区分等郵便物の処理、外国交換局あて郵袋納入
差立 外国交換局あて郵袋の差立、書状目録及び船会社あて荷物送状の作成点検
(2) 差立担務の勤務形態
同担務は、主任をリーダーとして、三名ないし五名の一般職員で構成されていたが、同担務の五チームのうち二チームは、区分、差立の分担を一週間毎に交替する(ただし、事故担当の一名を除く。)いわゆる循環服務の方法により主として昼間帯における作業に従事し、その他の三チームは、一六時間勤務により主として夜間帯における作業に従事していた。
昼間帯における各分担間の応援関係についてみると、事故を担当する一名は、専ら事故本来の作業に従事していたが、区分及び差立の分担は、業務遂行上必要に応じ相互に応援する措置も行なわれていた。
(3) 差立担務の業務量
(a) 第一外国課で所掌する船便通常郵便物については、昭和六一年一〇月一五日から翌年一月一〇日までが繁忙期間として設定され、業務の正常運行を図るべく万全を期しており、特にクリスマスメールが一〇月中旬から一一月中旬までの一ケ月間に集中するため、この期間は全体の取扱物数も、平均が二万八〇〇〇通のところ、その約二倍であった。
(b) 昭和六一年一〇月二三日から一一月六日までの間の受入郵便数、処理郵便数、未処理郵便物数は、次のとおりであった。
(日時) (受入郵便数)
(処理郵便数) (未処理郵便物数)
一〇月二三日 三万九〇八二通
四万二〇八二通 ゼロ
二四日 五万一〇五二通
五万一〇五二通 ゼロ
二五日 二万七九七〇通
二万七九七〇通 ゼロ
二六日 四七六七通
四七六七通 ゼロ
二七日 三万六一七九通
三万六一七九通 ゼロ
二八日 四万三七六〇通
三万八七六〇通 五〇〇〇通
二九日 五万三〇〇八通
五万八〇〇八通 ゼロ
三〇日 五万一三七〇通
四万七三七〇通 四〇〇〇通
三一日 四万四八九〇通
四万八八九〇通 ゼロ
一一月一日 五万七〇四八通
五万七〇四八通 ゼロ
四日 四万八三六六通
四万五八六六通 二五〇〇通
五日 八万〇〇八八通
六万八五八八通 一万四〇〇〇通
六日 六万九五二〇通
六万九五二〇通 一万四〇〇〇通
(4) 原告金子の本件当日の業務分担
原告金子は、本件当日、区分分担の中1A勤務(午前一〇時から午後六時一八分までの勤務)に指定されていた。同分担は、東京国際局に一日つき約三〇便到着する自動車便のうち、主として午前一〇時一〇分頃到着する連絡四号便から午後三時一〇分頃到着する連絡七号便までの郵便物を処理するものである。この間に到着する自動車便は右連絡四号便ないし七号便を含めて約一〇便あり、その業務処理の内容は、外国あて船便通常郵便物の受入郵袋の開披、同郵便物のうちの中型・小型郵便物及びクリスマスメールの差立区分等の作業を行なうこととされ、このほかにも誤送・誤区分及び配達不能郵便物の処理等を行なうこととされていた。
(5) 本件当日の差立担務の要員事情
(a) 本件当日の差立担務の要員事情についてみると、事故担当者及び一六時間勤務者並びに既に勤務指定において明示されていた非番日、週休日等の休みに該当する者を除くと、実際に配置できる人員は、前日二九日昼頃作成される分担簿上では合計一一名であった。さらに、当日は、一一月五日に発売される年賀はがきの販売準備のために午前及び午後各一名を、また、午後一時三〇分から同三時頃までの間、東京国際局全体の行事としての役職者を対象としたセールス技法講習会に主任一名をそれぞれ右配置人員の中から差し繰って出席させなければならないこととなっていた。そこで、飯塚課長は、本件当日非番日に指定されていた鈴木博に全一日の時間外労働を命じて出勤させるよう措置していた。なお、昼間帯においては、非常勤職員一、二名を連日雇用し、職員の補充的業務を担当させる等して取扱業務の波動性に対処してきたが、本件当日については日勤帯に一名の非常勤職員を雇用していた。
(b) 昭和六一年一〇月二三日から一一月六日までの日曜・祝日を除いた一二日間の実働人員(事故担当者及び一六時間勤務者を除く)は、一〇月二三日一〇名、二四日一二名、二五日一〇名、二七日九名、二八日八名、二九日一〇名、三〇日一〇名、三一日一〇名、一一月一日一〇名、四日一一名、五日九名、六日一〇名であった。
(6) 本件当日の業務支障の予測
(a) 原告金子から二九日午前に年休請求がされた旨の報告を受けた飯塚課長は、差立担務の業務運行状況、要員配置状況を検討したところ、二九日午前九時の段階で約二〇〇〇通の未処理郵便物があり、一六時間勤務の明けの者一名に二時間の時間外労働を命じるなどしてその解消に努めたが、年末繁忙期中でもあり、要処理物数は少なくとも約五万通(うち約二万通はクリスマスメール)程度となることが見込まれたため、これらの郵便物を完全に処理することは困難な状況にあり、三〇日朝の段階においても約五〇〇〇通程度の未処理郵便物が生じることは必至の状況であると予測し、さらに、三〇日中においても、二九日と同程度の要処理物数の受入れを予想した。
そして、飯塚課長は、二九日午後一時頃になって庶会課の中根主事から、原告金子と同じ差立担務の日勤の指定を受けていた岸副支部長について、三〇日午前には郵政省で交渉が、午後には地区打合せが予定されているので本人から年休請求があったら認めるようにとの連絡を受けていたところ、三〇日午前八時三〇分頃、岸副支部長から全一日の年休請求書が提出された。また、飯塚課長は、二九日午前中に、日勤の勤務指定を受けていた飯塚定夫、中勤の勤務指定を受けていた川島柳一からも原告金子と同じ時間帯の年休請求を受けていたが、岸副支部長については中央交渉委員のため、事の性質上これへの出席を認めざるを得ないが、原告金子ほか川島柳一、飯島定夫の右年休請求がたとえ一時間であるとはいえ、これを認めると業務の正常な運営に支障があるものと判断し、三名の右年休に対する時季変更権を行使することとした。
(b) ところで、差立担務の具体的な業務内容は、午前九時から午後五時一八分までを日勤が、午前一〇時から午後六時一八分までを中勤が、午後五時から翌午前九時二六分までを泊り勤務がそれぞれ担当していた。原告金子の勤務指定の中勤は、午前一〇時一〇分「連絡四」から午後三時一〇分「連絡七」で到着した連絡便の処理をすることとされ、日勤とともに、午前一〇時五〇分「国成二」で到着した連絡便の要処理物を午後三時二〇分発の下関コンテナ便と同三時五〇分発の神戸コンテナ便に載せられるように午後二時頃までに差立を完了する必要があり、右差立完了後は「国成二」以後に到着した連絡便の要処理物の区分、郵袋作成を続けることとなっていた。また、午後二時一〇分と同三時一〇分には東京国際局の郵便窓口で引き受けたクリスマスメール等の郵便物が窓口から交付されるため、その処理も行なわなければならなかった。泊り勤務は、午後五時三〇分「連絡八」から翌午前七時三〇分「渋谷一」で到着した連絡便の要処理物を午前一〇時発の海上コンテナ便と午前一〇時五〇分発の横浜一便に載せられるように午前九時頃までに差立を完了する必要があり、残った「渋谷一」で到着した連絡便の要処理物の区分、郵袋作成を続けることとなっていた。
(c) 差立担務での郵便物の区分処理の作業、前記のとおり勤務形態でいえば夜間帯勤務の一六時間勤務の職員と昼間帯の日勤・中勤の職員が引き継ぎながら業務を運行しているため、それぞれの勤務終了時に未処理郵便物が発生した場合、例えば日勤帯終了時に未処理郵便物があったときは、日勤帯の職員が超過勤務により処理するか、夜間帯の一六時間勤務の職員に引き継ぐのであり、また、一六時間勤務終了時の朝の時点で未処理郵便物があったときも同様に、一六時間勤務の職員が超過勤務により処理するか、日勤帯の職員に引き継ぐということであるが、未処理郵便物の量が多い場合は超過勤務による処理を行ない、比較的少ない場合は引き継ぐということとし、未処理物数が少量の場合は次の勤務の職員に引き継いでも支障なく業務運行が行なわれていた。
(d) 二九日午前〇時現在の一六時間勤務の未処理郵便物数は五〇〇〇通であり、午前九時に日勤に引き継ぐ時点で二〇〇〇通の未処理郵便物数があったため、飯塚課長は、一六時間勤務の明けの者一名に二時間の時間外労働を命じてこれを解消させた。三〇日午前〇時現在の一六時間勤務の未処理郵便物数はゼロであったが、午前九時に日勤に引き継ぐ時点で四五〇〇通の未処理郵便物数があったため、飯塚課長は、一六時間勤務の明けの者一名に二時間の時間外労働を命じてこれを解消させた。同日午後五時に日勤が一六時間勤務に引き継ぐ時点で六〇〇通の未処理郵便物数があったが、わずかな量であったことから、そのまま一六時間勤務に引き継がれ、三一日午前〇時現在の一六時間勤務の未処理郵便物数は四〇〇〇通であった。
(7) 原告金子の年休時季指定による業務支障の蓋然性
以上(1)ないし(6)の事実によれば、第一外国課差立担務においては、一〇月二九日午後三時過ぎの時点では、要処理物数は少なくとも約五万通(うち約二万通はクリスマスメール)程度となることが見込まれたため、翌三〇日朝の段階においても約五〇〇〇通程度の未処理郵便物が生じることが予測されたが、これは一六時間勤務帯で生じる滞貨であって、その量からみて同勤務明けの者によって処理されるべきものであり、原告金子の勤務指定である中勤の業務については、二九日において未処理郵便物が生じていたわけではなく、翌三〇日に日勤の未処理郵便物が生じる予測が立てられたものではなかったから、原告金子のした同日午後二時三〇分から同三時三〇分までの一時間の年休時季指定により代替勤務者を確保したり、あるいは時間外勤務を命じたりしなければならない事態が予想された状況ではなかったものというべきである。
したがって、原告金子の本件年休時季指定により第一外国課の業務の正常な運営に支障があるとはいえなかったものであり、飯塚課長のした時季変更権の行使は、その要件を欠き、無効というべきである。
(三) 原告二ノ宮関係(<書証番号略>、証人市川和義、原告二ノ宮、弁論の全趣旨)
(1) 第二外国課の到着担務の配置
本件当時、到着担務には、主事を総括リーダーとして二五名が配置され、事務処理を効率的に行なうため、これを五チームに編成の上各チーム単位に業務を分担して作業を行なっていた。なお、到着担務内における分担及び主な作業内容は次のとおりである。
文書 破損・事故小包郵便物の処理、各種調査請求に関する事務小包郵便物目録の処理、到着郵袋の受入れ
受入 到着郵袋の受入れ・開披、税関検査準備
検査 税関検査立会(郵便物の開披等)、税関検査済郵便物の交付
差立A 国内配達局あて郵便物の差立、他通関局あて郵便物の差立
差立B 送状作成
(2) 到着担務の勤務形態
各分担を担当するチームは、主任をリーダーとして、三名ないし五名の一般職員で構成され、メンバーは固定していた。また、文書担当以外のチームは、各分担を二週間ないし四週間毎に交替するといういわゆる循環服務の方法により作業に従事していた。各分担間の応援関係についてみると、業務の繁閑、その日の要員配置状況により必要に応じて相互に応援する措置も行なわれていた。
(3) 到着担務の業務量
(a) 第二外国課で所掌する船便小包郵便物及びSAL小包郵便物については、昭和六一年一〇月一五日から翌年一月一〇日までが繁忙期間として設定され、業務の正常運行を図るべく万全を期しており、この期間は全体の取扱物数も、一日における平均約四〇〇袋の二、三割増であった。
(b) 昭和六一年一〇月二三日から一一月六日までの間の日曜・祝日を除く受入郵袋数、開披郵袋数、未開披郵袋数は、次のとおりであった。
(日時)(受入郵袋数)
(開披郵袋数)(未開披郵袋数)
一〇月二三日 七四八袋
二六六袋 五八袋
二四日 三〇九袋
七一五袋 五袋
二五日 四九七袋
三五四袋 一四九袋
二七日 一二九袋
六九一袋 一袋
二八日 五四〇袋
一二九袋 六七袋
二九日 四二六袋
四七四袋 八二袋
三〇日 五三六袋
四一一袋 五九袋
三一日 四〇〇袋
五五九袋 ゼロ
一一月一日 四四五袋
四五九袋 二三四袋
四日 二三九袋
六九四袋 二袋
五日 三九六袋
二三七袋 ゼロ
六日 四三七袋
四〇三袋 一三袋
(4) 原告二ノ宮の本件当日の業務分担
原告二ノ宮は、第二外国課主任根本武夫をリーダーとした四名で編成するチームに属し、本件当日の同チームは受入分担に指定されており、原告二ノ宮もその一員として同主任らとともに日10A勤務(午前八時三〇分から午後五時九分までの勤務)により同分担の作業に従事することとされていた。
同分担の主たる作業内容としては、受入作業があり、右作業は、ツインライザー及びベルトコンベアにより順次第二外国課事務室へ搬送された外国来船便小包郵便物(SAL小包郵便物を含む。)を納入した郵袋を同ベルトコンベアの先端において受け取り、国別等に分けて所定の位置まで移動させ、床面に並べる作業である。また、開披作業は、右受入郵袋から小包郵便物を取り出し、送状等に基づいてその個数等を確認した後、送状及び税関告知書を小包郵便物に結びつけるなどして翌日に税関職員がする輸入検査のための準備等を行なう作業である。
(5) 本件当日の到着担務の要員事情
(a) 本件当時の到着担務の要員事情をみると、現在員は二五名であり、通常、木曜日・金曜日は二三名、それ以外の平日は二一名または二二名を配置していた。一〇月三〇日は、年休及び非番日に該当する者を除くと、実際に到着担務の各分担に配置できる者は合計二三名であった。さらに、当日は、一一月五日に発表される年賀はがきの販売準備のために一名を、また、同局全体の行事として役職者を対象としたセールス技法講習会に講師として主任一名、そのほか主事一名・一般職二名を午後の三〇分間位それぞれ右配置人員から差し繰って出席させなければならないこととなっていただけでなく、PR用の屋外掲示板を作成する必要があった。
(b) 昭和六一年一〇月二三日から一一月六日までの日曜・祝日を除いた一二日間の実働人員は、一〇月二三日二三名、二四日二三名、二五日一七名、二七日一八名、二八日二〇名、二九日二二名、三〇日二二名、三一日二一名、一一月一日一五名、四日二二名、五日二〇名、六日二二名であった。三〇日の要員は非番一名及び年休(二七日朝時季指定)一名を除く二三名であったが、一名が突発的に欠務したため、二二名の実働となった。
(6) 本件当日の業務支障の予測
(a) 第二外国課の到着担務においては、当日に受け入れた郵袋は当日開披するような業務運行が図られているが、船便国際郵便には到着郵便数に繁閑の波があり、必ずしも郵袋数を事前に正確に予測できないため、到着郵便数が大量のときは未開披郵袋が生じ、小包目録が入っているF番郵袋の到着が遅れているときも開披できない郵袋が生じ、また、税関検査許容量に限界があることから、作業場に搬入された郵袋を当日中に全部開披しておく必要性が少ない場合があった。したがって、未開披郵袋数が多いからといって、到着担務の業務に支障があったものとはいえず、一〇月二三日から一一月六日までの間、一〇月三〇日よりも到着郵便数、未開披郵袋数が多いかほぼ同じであった同月二三日及び二八日について、それぞれ一人一時間(午後四時一八分から)、一人二時間(午前八時三〇分から)の年休時季指定が行使され、また、その他に未開披郵袋が生じた日にも時間年休の時季指定が許容されていたことが少なくなかった。
(b) 原告二ノ宮は一〇月二八日午後一時頃に上司である朝野勇主事に本件年休請求書を提出したところ、朝野勇主事は作成済の三〇日の事務分担表の年休欄に、原告二ノ宮に対し一時間の年休が与えられることを示す趣旨の「二ノ宮1H」と記入し、原告二ノ宮もこれを確認した。ところが、市川課長は、同日午前、局長から三〇日の要請行動の時間帯に関係のある年休請求があった場合は状況を把握して判断を保留しておくべき旨の指示を受けていたところ、午後になって朝野勇主事に課内職員の年休請求の有無を報告させた。その結果、原告二ノ宮から年休請求書が提出されていたことを知り、直ちに朝野勇主事に対し保留の措置を採るよう指示した。そこで、朝野勇主事は、前記「二ノ宮1H」の記載を抹消した。
(c) 二八日及び二九日において、三〇日の到着担務の業務予測をみると、二八日には五四〇袋の受入郵袋があって、午後五時の未開披郵袋数が六七袋であり、二九日には、到着予定表によると欧州コンテナ(ロンドン便)八五袋、神戸コンテナ(上海便)一一袋、横浜港(ニューヨーク便VAN一三四袋、シドニィ五〇袋)他合計三三一袋が到着する予定になっていたところ、実際には四二六袋の受入郵袋があって、しかも神戸コンテナ便は、船便小包郵便物結束表上では午前一一時四〇分に到着の予定であったところ、遅れて午後三時三〇分に到着し、午後五時の未開披郵袋数が八二袋であった。二九日の時点で、三〇日の受入郵袋数は欧州コンテナ(ロンドン便四九袋)、神戸コンテナ二便(ブサン便三三袋、ナホトカ便二五袋)、横浜港(メルボルン一七袋、ニューヨーク便VAN三本)の到着が予定された。そして、船便小包郵便物結束表によれば、三〇日の午前九時一〇分に欧州コンテナ(ロンドン便)、同一一時四〇分に神戸コンテナ二便(ブサン便三三袋、ナホトカ便二五袋)の到着が、横浜港は午前一〇時台に二便のほかに午後〇時に横浜三号便、同二時四〇分に横浜四号便及び同三時に横浜五号便が到着する予定であった。
(d) 市川課長は、一〇月二八日、原告二ノ宮の本件年休の付与の可否について検討したが、同日の到着担務の業務運行は、約五〇〇個を超える多くの郵袋の受入れがあり、約七〇個の未開披郵袋が生じるという状況にあったことなどを考え、ひとまず翌二九日の業務運行状況をみて判断することとした。同月二九日に至り、市川課長は、到着予定表により、三〇日にも相当数の郵便物の到着が見込まれ、特に原告二ノ宮の本件年休の請求時間帯は、横浜四号便及び同五号便の到着が予定され、加えて仮に神戸コンテナ便二便が同時間帯に遅れて到着した場合には、極めて多忙な時間帯となることが予測されると考え、三〇日午後にはセールス技法講習会及び年賀はがきの販売準備のため到着担務配置者の中から要員を割いて出席させなければならない状況下にあったこと等を合わせ検討の結果、原告二ノ宮の本件年休請求がたとえ一時間であるとはいえ、これを認めることは業務の正常な運営に支障があるものと判断し、右年休に対する時季変更権を行使することとした。
(e) 原告二ノ宮が担当していた受入分担の日常における仕事は、主として、到着郵袋の受入れ・開披及び税関検査の準備作業であり、右作業は午前九時一〇分から午後三時にかけて到着する欧州コンテナ便、横浜便、神戸コンテナ便等について行なうこととされていた。午前中及び午後二時三〇分頃までのこの作業は、原告二ノ宮の所属する受入分担と事故分担が従事し、その後は検査分担、差立AB分担も応援して作業することが多かった。
三〇日は、事務分担表上は二四名の配置要員であったが、検査分担の大石が朝出勤後に病気休暇を取って欠務し、また、差立B分担の野口が子供の病気で二七日から突発欠務を続けていた。原告二ノ宮は、午前九時に到着した欧州コンテナ便の受入作業に従事し、午前一〇時一六分に到着した横浜一号便及び同一〇時三七分に到着した横浜二号便の受入作業を同一一時過ぎまで行ない。その後同一一時に到着した横浜臨時便の受入作業を行なった。そして、午後一時からは、午後〇時一三分に到着した横浜三号便の受入作業を午後二時三〇分まで行なった。午後二時三〇分から同三時三〇分の年休時間帯には、横浜四号便(一四時二二分到着)、同五号便(一四時三九分到着)が到着したが、神戸コンテナ便が通常午前一便の到着であるところ遅れて午後二便(一四時二五分、一四時三八分到着)で相次いで到着し、約二六〇個の郵袋が集中し、一時ベルトコンベアの先端に郵袋が山積みの状態になった。また、原告二ノ宮は、同日、各種帳簿から当日の業務運行を取りまとめる受入日計の担当であったが、業務が幅奏したことから本来勤務終了の午後五時頃までに作成が終了するはずの外国来小包日計簿を作成することができなかったのみならず、その処理をするよう市川課長から時間外労働を命ぜられていたにもかかわらずこれを拒否したため、市川課長はやむを得ず、根本武夫主任に一時間の時間外労働を命じて処理させた。
(7) 原告二ノ宮の年休時季指定による業務支障の蓋然性
以上(1)ないし(6)の事情によれば、第二外国課到着担務においては、一〇月二九日午後三時過ぎの時点では、三〇日の受入郵袋数は通常よりも多いが年末繁忙期の木曜日として要員配置した事務分担表どおりの体制で処理が可能な範囲内であると予測され、二八日午後一時の時点でも朝野勇主事は原告二ノ宮の一時間の年休時季指定によって業務に支障が生じる恐れがないと判断して事務分担表にその予定をひとまず記入したのであって、その後に市川課長が右年休請求を保留にしたのは要請行動との関係による局長の指示に基づくものであったから、実際に三〇日の受入郵袋数が予測よりも少し多く、しかも、結束表で予定していた到着時刻より大幅に遅れて午後二時以降に集中し、かつ、当日勤務指定を受けていた要員の突発欠務があったことも加わって、結果的に未開披郵袋が生じたけれども、市川課長が時季変更権を行使した時点では、原告二ノ宮のした午後二時三〇分から同三時三〇分までの一時間の年休時季指定によって業務支障の蓋然性があったと認めることはできないというべきである。
したがって、原告二ノ宮の本件年休時季指定により第二外国課の業務の正常な運営に支障があるとはいえなかったものであり、市川課長のした時季変更権の行使は、その要件を欠き、無効というべきである。
(四) 原告東関係(<書証番号略>、証人森元章恭、原告東)
(1) 第四外国課の到着担務の配置
本件当時、到着担務には、主事を総括リーダーとして三二名が配置され、事務処理を効率的に行なうため、これを七チームに編成の上、各チーム単位に業務を分担して作業を行なっていた。なお、到着担務内における分担及び主な作業内容は次のとおりであるる。
文書・事故 破損小包郵便物の処理、返送小包郵便物の処理、小包郵便物目録の処理、調査請求書の処理
通関 税関検査立会(郵便物の開披等)、税関検査済郵便物の交付
差立 到着郵袋の受入・開披、税関検査準備、国内配達局あて郵便物の差立、他通関局あて郵便物の差立
保留 関係書類不備による郵便物の保管、保留郵便物の税関検査立会、郵便物の検品(内容点検)立会、税関検査済郵便物の差立
(2) 到着担務の勤務形態
各分担を担当するチームは主任をリーダーとして、二名ないし四名の一般職員で構成され、メンバーは固定していた。また、原告東が所属していた文書・事故分担及び保留分担のチームは、年間を通じて同分担の作業に従事していたが、その他のチームは各分担を四週間毎に交替するといういわゆる循環服務の方法により作業に従事していた。各分担間の応援関係についてみると、業務の繁閑、その日の要員配置状況により必要に応じて相互に応援する措置が行なわれていた。
(3) 到着担務の業務量
第四外国課の到着担務の業務は、月曜日は約四〇〇〇個、火曜日から土曜日にかけては一日約一五〇〇個から二〇〇〇個の外国来航空小包郵便物を受け入れ、税関検査後区分し、国内各配達局へ差し立てる業務である。昭和六一年一〇月二七日から一一月一日までの受入小包数についての一次検査提示数、一〇月二三日から一一月六日までの間の日曜・祝日を除く通関二次検査未処理数は、次のとおりであった。
(日時) (一次検査提示数)
(通関二次検査未処理数)
一〇月二三日 ―
一九七個
二四日 ―
四九個
二五日 ―
二九二個
二七日 四三八一個
一〇〇〇個
二八日 一六五五個
六六六個
二九日 一二〇一個
四〇九個
三〇日 一五三九個
二四〇個
三一日 二一三〇個
二九個
一一月一日 一五九四個
一七六個
四日 ―
一二二〇個
五日 ―
七六八個
六日 ―
四四九個
(4) 原告東の本件当日の業務分担
原告東は、第四外国課主任田辺昇をリーダーとした四名で編成するチームに属し、本件当日は文書・事故の分担に指定されており(午前八時三〇分から午後五時九分までの勤務)、破損小包郵便物の処理等に従事していた。
原告東の担当する業務は、①破損小包郵便物の処理(外国から到着した航空小包で、内容品が損傷した小包を開披し、内容品の損傷具合を見るため内容点検し、その際、写真を二、三枚撮り、立会検査調書を作成する。小包は、また再装して同調書の一部を添付し、配達郵便局へ送り、更に小包の損傷の事実を小包が出された外国の交換局に点検状で通報する。)、②簡易文書の処理(内容品の損傷が東京国際局で発見されず、配達局で発見された場合、立会検査調書は配達局で作成され、同調書が簡易文書の形で送られてくるので、その立会検査調書に基づいて外国の交換局に点検状で通報する。)、③一般文書の処理(小包が損傷し、条約に定められた損害賠償がされた場合、その手続のため、全国の各郵政監察局からその小包の東京国際局における到着、処理模様に関する照会文書が来るので、それに回答する。)である。
(5) 本件当日の到着担務の要員事情
(a) 本件当時の到着担務の要員事情をみると、現在員は三二名であるが、一〇月三〇日は、年休及び非番日に該当する者を除くと、実際に到着担務の各分担に配置できる者は合計二六名であった。更に、当日は、同局全体の行事として役職者を対象としたセールス技法講習会に一名を午後の三〇分間位それぞれ右配置人員から差し繰って出席させなければならないこととなっていた。右一名については、到着担務の中の文書・事故分担から出席することになっていた。
(b) 昭和六一年一〇月二三日から一一月六日までの日曜・祝日を除いた一二日間の実働人員は、一〇月二三日二七名、二四日三〇名、二五日二五名、二七日二八名、二八日二七名、二九日二七名、三〇日二六名、三一日二八名、一一月一日二三名、四日三〇名、五日二五名、六日二八名であった。
(6) 本件当日の業務支障の予測
(a) 森元課長は、調整課から一〇月二八日午前に東京国際局庁舎内に設置されている東京税関東京外郵出張所が到着担務で取り扱っている外国来航空小包郵便物の品目及び価格等について実態調査を同月三〇日に実施する予定であるとの連絡を受け、同日午後三時頃、同出張所統括審査官に詳細を問い合せたところ、右実態調査は、日頃行なわれている小包郵便の税関一次検査の際にあわせて行なうということであり、右実態調査の実施は初めてのことでもあるが、東京国際局にはできるだけ迷惑を掛けないとのことであった。
(b) 税関一次検査は、午前九時一五分から同一一時三〇分までの間に行なわれていたが、月曜日を除いて通常一〇時三〇分頃までに終了することが多く、引続き午前中からも二次検査が行なわれていた。検査終了後の差立業務は、差立分担配置者が行なうこととされていたが、休日の翌日等の繁忙時には、日頃から、東京国際局から出発する自動車便に搭載する差立郵袋の交付時間との関係において、必要に応じて他からの応援を受け、所定の交付時刻までに差立郵袋の作成が完了するよう業務運行上の措置がとられていた。この場合、通関、計画の担務から応援を求め、更に人出が不足したときに、事故・文書の担務にもその依頼をするが、原告東に対しては、破損小包処理業務を途中で中断することが適当でないことから、応援要員としてはあまりあてにされていなかった。
(c) 森元課長は、右実態調査が実施された場合には、これが午後にまで及んで本来午前中において行なうべき小包郵便物の差立業務の多くが午後に持ち越されれば、差立業務自体の円滑な運行を確保することができなくなることも予測されると判断し、本件当日は通常の配置人員より二名少ないこと、同日午後には、同局全体の行事として役職者を対象としたセールス技法講習会に文書・事故分担配置者の中から一名を割いて出席させなければならない状況下にあったことをあわせ検討の結果、差立分担に配置される職員のみでは対応が困難であると考え、原告東の本件年休請求が当初全一日であったのを時間年休に変更されたからといって、それがたとえ一時間であるとはいえ、これを認めることは業務の正常な運営に支障があるものと判断し、右年休に対する時季変更権の行使を行なうこととした。
(d) ところで、森元課長は、通関分担の田代から引越しを理由に一〇月三〇日午後二時四八分から同五時四八分までの三時間の年休時季指定を受け、あらかじめこれを許容していた。そして、税関による前記実態調査について、職員に対し、その実施方及び応援の方法・可能性を周知徹底していたわけではなく、現実にも、一〇月三〇日は、午前中の遅くとも一一時三〇分までには実態調査は終了し、引き続き二次検査が行なわれていた。
(7) 原告東の年休時季指定による業務支障の蓋然性
以上(1)ないし(6)の事実によれば、第四外国課到着担務においては、一〇月二九日午前八時三〇分頃の時点では、三〇日の一次検査の際に税関の実態調査があって、税関からその協力を求められていたが、はじめての経験であるというだけで、具体的にどのように業務の遅延が予測されるかを調査していたわけではなく、関係職員にその応援のための必要性がありうることを通告したこともないのであって、しかも到着担務の業務の遅延による差立担務の業務の支障が生じないよう応援すべき要員として原告東が予定されていたものとはいいがたいから、森元課長が時季変更権を行使した時点では、原告東のした午後二時三〇分から同三時三〇分までの一時間の年休時季指定によって業務支障の蓋然性があったと認めることはできないというべきである。
したがって、原告東の本件年休時季指定により第四外国課の業務の正常な運営に支障があるとはいえなかったものであり、森元課長のした時季変更権の行使は、その要件を欠き、無効というべきである。
二庶会課の業務支障を理由とする本件時季変更権行使の効力
1 昭和六一年四月三日における要請行動の状況(<書証番号略>、証人北條敏夫、上原賢一郎、原告金子)
(一) 郵産労支部は、かねてから東京国際局に対し、組合事務所貸与の便宜供与を求めていたが、当局から局所狭隘のため使用を許可するスペースがない旨を説明されてきたところ、全逓と全郵政にのみ貸与しているのは不誠実であるとして、執行委員会の決定をもって、局長に直接事務所の貸与について見解を求めることとした。そして、昭和六一年四月三日午後〇時四〇分頃、東京国際局庶会課事務室内に、郵産労の上原支部長、黒沢書記長ほか原告らを含む組合員約二〇名が局長との面会を求めに赴いた。この時間帯は、庶会課においては休憩時間にあたり、同課職員が休養して午後からの業務に備える時間帯であった。黒沢書記長は、休憩時間中であった庶会課の堤主事に対し、組合事務室を要求して、局長面会を求めた。このため堤主事は黒沢書記長に対し、「このように集団で押し掛けてくるということは集団抗議ではないか、職員の休憩の妨害になる、直ちに解散させなさい。」と命令したが、黒沢書記長、上原支部長ほか同組合員らは従わなかった。
(二) 庶会課の北條課長は、中根主事から郵産労支部の右態様について連絡を受け、同事務室に急行し、原告ら組合員に対し、「休憩時間中庶会課で大声を出してはいけない、直ちに解散しなさい。」と命じたが、同組合員らはこれに従わず、北條課長に対して執拗に局長面会を求めた。そのうちの数名の組合員が、同課長に対して、組合事務室を与えないのは憲法違反だ、泥棒だ等と抗議した。牛島次長は、次長室で休憩していたところ、庶会課事務室での騒ぎが耳に入ったので、庶会課事務室に出向き、解散を命じたが、原告ら組合員はこれに従わなかった。
(三) その後、午後〇時五〇分頃になって、上原支部長は、北條課長らの前で抗議声明と題する抗議文を読み上げ、同課長に対してその受領を求めたが、同課長に受取りを拒否されると、その場に抗議文を置き、原告ら組合員とともに、庶会課事務室から退去した。
2 昭和六一年四月一〇日における要請行動の状況(<書証番号略>、証人北條敏夫、小田護、上原賢一郎、市川和義、飯塚定夫、原告金子)
(一) 原告らの所属する郵産労支部は統一労組懇の下部機関である千代田統一労組懇の構成メンバーであったが、統一労組懇を中心にしてその共闘労働組合で結成された東京春闘懇は、昭和五九年頃から、年に二回ほど統一行動を実施しており、統一行動につき一か月位前に準備会を開いて官公庁、企業等の要請先、要請項目及びコース等を決定し、参加人数、要請時間、要請先対応者との面会場所、要請コースの代表者氏名等を確認して実行してきた。
(二) 昭和六一年四月一日、千代田統一労組懇の幹事でもあった黒沢書記長は、東京国際局に対し、同月一〇日に、統一行動があり、その行動の一環として、当日、局長面会を求めて来局したい旨の申出をするとともに、東京春闘懇名による東京国際局長あての要請書を提出した。この要請書には、要求の実現をめざして四・一〇全都大行動の一環として東京国際局長に対し、深夜勤の廃止あるいは組合事務室の設置等六項目の要望について善処されたく要請する、一〇日午後二時五〇分から同三時二〇分頃までの間要請に応じていただきたい、と記載されていた。
(三) 東京国際局長は同月九日、北條課長を通じて黒沢書記長に対し面会要請には応じられない旨通知した。これに対して、黒沢書記長は、統一行動であり、予定時間に国際局前に集合する参加者も多いため、同局だけを抜かすことはできないとして、あくまでも要請行動を行なう旨の意向を表明したる
(四) 翌一〇日午後二時三〇分頃から北條課長、同局庶会課課長代理清水豊、堤主事、中根主事の四名が要請行動参加者に対応すべく同局職員通用口において待機中のところ、同二時四〇分頃、同局職員通用門前に郵産労支部組合員を含む同行動参加者が集ってきた。同二時五〇分頃、同行動の代表者である千代田統一労組懇代表幹事の小田は、右職員通用門前で、参加者二〇名くらいと打合せを行なった際、黒沢書記長から、国際局長は不在で会えないし、誰も会わないといっているとの説明を受けたが、相手方のそういう回答の場合でも、当日対応してきた者に文書を渡すなりすればそれでやむを得ないと考え、同局職員通用口において、北條課長に対して、国際局長面会に来た旨を告げた。ところが、同課長から「お会いできませんですので、お引き取り下さい。」旨申し渡され、小田は、思いがけなく強い対応に困り、しばらくやりとりが続いた。
(五) そのうち、要請行動に参加していた外郵出張所職員が突発的に「税関の者だ、税関に行くのだからドアを開けろ。」と大声を出したため、北條課長は、やむを得ず同人だけを税関に行かせるため局舎の中にいた中根主事に対してドアを開けるように指示し、少し開けたところ、要請団参加者らは一団となって通用口に押し寄せ、同課長の制止を聞かずに、午後二時四五分頃全員が局舎内になだれこんだ。そこで北條課長は、玄関ホールのエレベーター前に集った要請団に対して退去命令を発したが、参加者らは同課長の命令に従わず、エレベーターに乗り込んでしまった。この状況を電話で連絡を受けた飯塚課長は、庶務会計課事務室のドアの鍵を内側から掛けた。北條課長は税関のある二階でエレベーターを止めて、「税関の人は二階で降りなさい、その他の方は局舎外に出なさい。」と命じたが、要請団は、「八階に行くんだ、食堂に行くんだ。」などといって、二階で降りる者はなくそのまま局長室のある八階まで上がった。エレベーターを降りた要請団は、食堂に行く者は一人もおらず、午後二時五〇分頃、局長室へ通ずる庶会課事務室へ向かった。そこで、北條課長らは、同課事務室内への乱入を防ぐ為、同課事務室のドアを背にして立ち、その両隣には清水豊課長代理、堤主事、中根主事らもドアを背にして立った。小田は、北條課長に対して繰り返し、局長に面会を求めた。北條課長が、重ねて退去を命じると、要請団は「どうして会わないんだ、そういうことをいっているから親方日の丸だ。」などと反論した。なお、これらの抗議行動には、原告東を除くその余の原告らも含め、部内者部外者合わせて約二〇名が参加していた。このような状態は約二〇分間続き、その後、小田は要請書を読み上げ、同課長に差し出したが受領を拒まれ、午後三時一〇分頃に他の参加者らとともに庶会課事務室前を退去した。
3 昭和六一年一〇月三〇日における要請行動(<書証番号略>、証人北條敏夫、小田護、市川和義、森元章恭、飯塚敏明)
(一) 昭和六一年一〇月二五日、黒沢書記長から当局に対し、同月三〇日に東京春闘懇が統一行動を行なうこととしており、右行動の一環として当日、約二〇名が局長面会を求めて来局したい旨の申し出がなされるとともに、東京春闘懇名による東京国際局長あての要請書が提出された。永山局長は、要請書の中に深夜勤の廃止、組合事務室設置に関連する要請項目があることなどから、本来これらについては部外団体の要請行動になじむものではなく、部内組合とのルールあるいは規程等に則って処理されるべきものであるとして、同月二八日に中根主事を通じて黒沢書記長に面会要請には応じられない旨通知した。
(二) 一方、永山局長は、過去の東京春闘懇による要請行動の態様に鑑み、今回も一〇月三〇日午後二時四五分から同三時一五分までの間、同局に局長面会を求めて来るであろうこと、また、それにあわせて同局の郵産労支部に所属している職員から面会要請時間帯にあわせた年休請求が多数提出されるであろうことが予測されると考えた。そこで、同月二八日、同局の局長、次長、各課長、庶務課課長代理、労務主事等の管理者が出席する朝の局議ミーティングで、本件要請行動に係わる年休の請求が提出された場合はその数を報告すること、また、右年休付与の承認についてはひとまず保留するよう指示した。
(三) ところで、一〇月二七日から二九日午後二時までに、東京国際局においては、東京春闘懇の東京国際局への要請行動の時間帯に符合するためにこれに関連するものと思われる全一日の年休請求を原告東ほか二名が、同じく午後二時三〇分から同三時三〇分までの一時間の時間休請求を原告蓬田、同金子、同二ノ宮ほか九名が提出した。同人らはいずれも郵産労支部に所属していた。
(四) そのため、永山局長は二九日午後二時に臨時の局議ミーティングを召集し、その右年休請求の状況、その影響等について検討した結果、右年休を付与することにより局舎に乱入され、庶会課の業務に支障が出る恐れがあると判断し、また、右年休請求者の所属課長から、右年休請求者の所属担務等ひいては当該課においても個別具体的な業務支障がある旨報告があったことから、各課の業務支障について各課長から時季変更権が行使される際に、局長としては黒沢書記長を除く右年休請求者については、庶会課の業務支障を理由に時季変更権を行使するので合わせて各所属課長から通告するよう各課長に指示をした。なお、右ミーティングの席上、牛島次長から、黒沢書記長については東京春闘懇の役員であるので、年休を付与しない場合の対外的な影響を考慮し年休を認めざるを得ないのではないか、また、黒沢書記長以外の支部三役である上原支部長、岸副支部長の二人についても年休請求があった場合は同様の趣旨で認めざるを得ないのではないかとの意見があり、永山局長は支部三役について年休を付与することはやむを得ないと判断した。
(五) 右ミーティング終了後、飯塚課長は原告蓬田に対して二九日午後三時三二分頃、また、原告金子に対して同日午後三時四七分頃、市川課長は原告二ノ宮に対して同日午後四時五〇分頃、森元課長は原告東に対して同日午後三時二〇分頃、東京国際局長が判断した同局庶会課の業務支障と各課長が判断した各課の業務支障について合わせて時季変更権を行使、通告した。
4 そこで、一〇月三〇日の庶会課の業務支障の蓋然性があることを理由とする本件時季変更権の行使の効力について判断する。
(一) 本件時季変更権の行使と年休の利用目的
年休の利用目的は労働基準法の関知しないところであり、休暇をどのように利用するかは、使用者の干渉を許さない労働者の自由である、とするのが法の趣旨である(最高裁判所昭和四八年三月二日第二小法廷判決・民集二七巻二号一九一頁)。したがって、労働者が年休を取得した当該日をどのように利用し、当該日にどのような行動をするかによって時季変更権を行使できるかどうかが定まるのではなく、当該労働者の所属する事業場を基準として、当該労働者の年休取得日の労働が業務の運営にとって不可欠かどうか、すなわち、年休を取得して労務の提供をしないこと自体によって事業の正常な運営を妨げることとなるかどうかによって決すべきものである。しかし、年休の時季指定が、労働者において、休暇届を提出して職場を放棄・離脱したうえ、自己の所属する事業場に正当な理由なく滞留するなどして専ら事業の正常な運営を阻害することを目的とするためにある等特段の事情がある場合、それは年休に名を藉りて違法な業務妨害をすることを目的とするものであるということができるから、年休権行使の濫用として許されないものというべきである。
(二) 年休権行使の濫用の有無
原告らが本件年休の時季指定をすること自体によって庶会課の業務支障が生ずるものではないことは明らかである。そこで、本件年休の時季指定が前記のような年休権行使の濫用として許されないものであるかどうかについて検討する。
(1) 昭和六一年四月三日、同月一〇日における各要請行動の状況に関する前記認定事実によれば、原告らの所属する郵産労支部は、組合活動として、事前の連絡をせずに休憩時間中に庶会課に赴き国際局長に面会を求めて拒否され、解散を命じられたにもかかわらずこれに従わずに大声で抗議をしたり、また、東京春闘懇に参加して、事前に国際局長との面会はできない旨の連絡を受け、局舎内に入ることを拒否されているにもかかわらず、たまたま通用口が開いたのを切っ掛けに、局舎内に集団で入り込み庶会課事務室前で国際局長との面会を要求し続けたものであって、少なからず、庶会課の休憩時間・熱務時間中の秩序を乱し、また、庶会課の業務の遂行を妨げたものというべきである。そして、昭和六一年一〇月三〇日における要請行動は、前記3(一)に認定の事実によれば、同年四月一〇日の要請行動と同じ目的で国際局長に面会を求めて実施されることが予定されていたのであるから、当局との対応は場合によっては同じ経緯をたどる可能性があることも予測されたものということができる。
(2) しかしながら、昭和六一年四月三日、同月一〇日における各要請行動は、組合活動として実施されたものであり、その過程において庶会課の業務の遂行を妨げる結果が生じたからといって、当該妨害行為が職員としての非違行為としてなんらかの処分の対象になるかどうかは別として、これが直ちに自己の所属する事業場に正当な理由なく滞留することによって専ら事業の正常な運営の阻害を目的として実行されたものであるとはいえない。しかも、全都大行動は、昭和六〇年一〇月二五日にも昭和六一年四月一〇日の要請行動と同じ目的で国際局長に面会を求め、郵産労国際支部の組合員一四名が年休を利用して要請行動に参加して実施されたが、その際は、庶会課の主事、課長代理が警備員室で対応し、特に問題の行動はなかったのであり(<書証番号略>、証人小田護、上原賢一郎、原告金子)、昭和六一年四月三日、同月一〇日における各要請行動の状況に関する前記認定事実に照して、全都大行動の昭和六一年一〇月三〇日における要請行動が専ら庶会課の正常な運営の阻害を目的としたものであるということはできない。
(三) 本件時季変更権行使の効力
以上によれば、原告らの時季指定どおり年休を与えると、年休を取得した原告らを含む職員が部外者とともに多数で局舎内に乱入し、同局の庶会課に押し掛け、同課の職場秩序が乱され、正常な業務遂行を阻害することが十分に予測されたものであり、事業の正常な運営が妨げられる場合に該当するものであるとしてされた本件時季変更権の行使は、その要件を欠き、無効というべきである。
三結論
1 被告が原告らに対してした時季変更権の行使は、無効であるから、原告らがした年休の本件時季指定によって、その指定年月日時間につき年休が成立し、同日における就労義務は消滅したこととなる。したがって、被告が原告らに対し同時間の欠務時間を無断欠勤であるとして原告らの賃金から原告蓬田につき九一七円、原告金子につき八五四円、原告二ノ宮につき一二〇九円、原告東につき一二四五円を控除したことは違法であるから、被告は原告らに対し右各金員を支払うべき義務がある。また、労基法一一四条に基づき、被告に対し、これと同額の附加金を原告らに支払うべきことを命じるのが相当である。
2 被告のした本件訓告処分は、その前提を欠き、違法、無効であり、被告には右処分をするにつき少なくとも過失があったというべきであるが、本件における事実関係を総合すれば、本件訓告処分によって原告らが受けたであろう精神的苦痛は、本判決によって、本件訓告処分の理由となった欠勤が年休として正当であって却って被告においてその年休分の未払賃金及び同額の附加金を支払う義務があることが明らかにされることによって慰藉される程度のものであると認められ、原告らがそれ以上の精神的苦痛を受けたとの事情を認めることはできない。
3 以上によれば、被告は、
(1) 原告二ノ宮に対して未払賃金及び附加金合計二四一八円、原告東に対して未払賃金及び附加金合計二四九〇円、原告金子に対して未払賃金及び附加金合計一七〇八円、原告蓬田に対して未払賃金及び附加金合計一八三四円
(2) 原告二ノ宮に対して未払賃金一二〇九円につき、原告東に対して未払賃金一二四五円につき、原告金子に対して未払賃金八五四円につき、原告蓬田に対して未払賃金九一七円につきそれぞれ遅滞後の昭和六二年五月二四日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金
(3) 原告二ノ宮に対して附加金一二〇九円につき、原告東に対して附加金一二四五円につき、原告金子に対して附加金八五四円につき、原告蓬田に対して附加金九一七円につきそれぞれ本判決確定の日の翌日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金
の各支払義務があり、原告らの請求は右の限度で理由がある。仮執行宣言はその必要がないと認める。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官遠藤賢治 裁判官坂本宗一 裁判官塩田直哉)